パルジファル

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MAR 2026 Next

 

パルジファル – リヒャルト・ワーグナー | オペラ
**言語:**ドイツ語(チェコ語・英語の字幕付き)
**初演:**2026年3月26日

 

波乱に満ちた人生の最期を迎えるわずか3か月前、リヒャルト・ワーグナーは、深い諦念と洞察に満ちた言葉を記した。「この殺人と盗みの世界を、嘘と欺瞞と偽善によって組織され、合法化されたこの世界を、生涯にわたって開かれた心と自由な精神で見つめ続け、嫌悪と戦慄から目を背けずにいられる者がいるだろうか? それならば、いったいどこへ視線を向けるというのか?」
最初の一文は、神々と人間がともに自己の利益のために破壊的な争いを繰り広げる世界を描いた、ワーグナーの壮大な四部作《ニーベルングの指環》の内容と意味を示している。続く一文では、1882年に完成された彼の最後の楽劇《パルジファル》について言及しており、そこでもまた寓話の形を通じて、人類の長きにわたる衰退を描き、利己的な欲望を捨てることによって、思いやりと理解に基づいた再生の可能性を示唆している。
ワーグナーはこの作品を「舞台神聖祝祭劇」と呼び、通常のオペラとは異なる特別な存在と位置付けていた。題材は中世の叙事詩『パルツィファル』(ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ作)であり、聖杯の騎士たちの物語をもとにしながらも、シューペンハウアーの哲学や仏教思想に影響を受けた、彼独自の神秘的かつ比喩的な構想のもとで大きく再構築された。
王アムフォルタスの流血する傷は、飽くなき欲望に突き動かされる人間の生を象徴し、その欲望は謎めいた女性クンドリに具現化されている。一方でパルジファルは「純粋なる愚者」──思いやりに満ち、無私であるがゆえに、ただひとりアムフォルタスの傷を癒すことができる存在として描かれている。

 

世界的に著名なドイツ人演出家アンドレアス・ホモキは、《パルジファル》を演出するにあたり、初めての試みの場としてプラハを選んだ。そして、カフカを生んだこの地の偉大な文学的伝統からも着想を得たのは当然のことであろう。

 

 

構成とあらすじ

 

第1幕

前奏曲。グルネマンツと小姓たちが傷の治療のために湖へ向かう王を待っているところへ、クンドリが現れ、アンフォルタス王の薬を託す。かつてアンフォルタスはクンドリに誘惑され、聖槍を奪われて傷つけられていた。癒えない傷口からは、絶えず血が流れ出し、罪の意識を伴ってアンフォルタスを苦しめた。グルネマンツは魔法使いクリングゾルの邪悪と、王を救うための神託について語る。神託とは、「共苦して知に至る、汚れなき愚者を待て」というものであった。そこへ、湖の白鳥を射落とした若者が引っ立てられてくる。グルネマンツはこの若者こそ神託の顕現ではないかと期待し、若者を連れて城へ向かう。城内の礼拝堂で、聖杯の儀式が執り行われる。しかし、傷ついているアンフォルタスにとって、儀式は苦悩を増すものでしかない。官能への憧れと罪への苦痛、死への願望がアンフォルタスを襲う。先王ティトゥレルの促しによって、聖杯が開帳される。しかし、若者は茫然として立ちつくすばかり。グルネマンツは失望して若者を追い立てる。

 

第2幕

短い前奏曲。クリングゾルの魔の城。クリングゾルの呼びかけに応じてクンドリが目覚める。クリングゾルはクンドリに、魔の城に侵入した若者を誘惑し堕落させるように命じる。クンドリは抵抗するが、結局言いなりになるしかない。若者は襲いかかってくる兵士たちをなぎ倒して進むうち、クリングゾルの魔法によって、あたりは花園になる。花の乙女たちが無邪気に舞いながら若者を誘う。やがてクンドリが「パルジファル!」と呼びかけ、初めて若者の名が明かされる。クンドリはパルジファルの母親の愛を語り、接吻する。ところが、この接吻によって、パルジファルは知を得て、アンフォルタスの苦悩を自分のものとする。なおもクンドリはパルジファルに迫り、クンドリの呪われた過去も明らかになる。しかし、パルジファルはこれを退ける。誘惑に失敗したと悟ったクリングゾルが現れ、聖槍をパルジファルめがけて投げつける。聖槍はパルジファルの頭上で静止し、パルジファルがそれをつかんで十字を切ると、魔法が解け、城は崩壊して花園は荒野と化す。

 

第3幕

前奏曲は、パルジファルの彷徨・遍歴を示す。第1幕と同じ場所で、隠者となったグルネマンツは倒れているクンドリを見つける。そこに武装した騎士が現れる。騎士はパルジファルだった。いまやアンフォルタスは聖杯の儀式を拒否し、先王ティトゥレルも失意のうちに没し、聖杯の騎士団は崩壊の危機に瀕していた。クンドリが水を汲んできて、パルジファルの足を洗い、グルネマンツがパルジファルの頭に水をかける洗礼の儀式。パルジファルもまたクンドリを浄める。泣くクンドリ。ここから聖金曜日の音楽となる。3人は城に向かう。城では、騎士たちの要請によって、ティトゥレルの葬儀のための儀式が、これを最後に始まろうとしていた。アンフォルタスは苦悩の頂点に達し、「我に死を」と叫ぶ。そのとき、パルジファルが進み出て、聖槍を王の傷口にあてると、たちまち傷が癒えた。パルジファルは新しい王となることを宣言、聖杯を高く掲げる。合唱が「救済者に救済を!」と歌う。聖杯は灼熱の輝きを放ち、丸天井から一羽の白鳩が舞い降りて、パルジファルの頭上で羽ばたく。クンドリは呪いから解放されてその場で息絶える。

プログラムとキャスト

指揮: マルクス・ポシュナー
パルジファル – マシュー・ニューリン
クンドリ – エステル・パヴルー
アンフォルタス – ボグダン・バチウ;イジー・ハイエク
ティトゥレル – ヤン・フニク
グルネマンツ – ティモ・リーホネン
クリングゾル – マルティン・バールタ
第一の騎士 – ヨゼフ・モラヴェツ
第二の騎士 – ミロシュ・ホラーク
小姓たち – マグダレーナ・ヘボウセヴァ;キンジョウ・ユキコ・スメチャコヴァー;マレク・ジフラ;ヴィート・シャントラ
魔法の乙女たち – バルボラ・ペルナー;マグダレーナ・ヘボウセヴァ;スタニスラヴァ・イルクー;キンジョウ・ユキコ・スメチャコヴァー;マリエ・スヴォボドヴァー
天上の声 – ヤナ・シーコロヴァー

 

演出:アンドレアス・ホモキ
舞台美術:フランク・フィリップ・シュレースマン
衣裳:ハンナ・クラーク
照明デザイン:フランク・エヴァン
合唱指導:ズザナ・カドルチーコヴァー、パヴェル・ヴァニェク
ドラマトゥルク:ヴェルナー・ヒンツェ、オンドジェイ・フチーン

 

国立劇場合唱団・国立歌劇場合唱団
国立歌劇場管弦楽団
国立劇場オペラバレエ団
プラハ・フィルハーモニー少年少女合唱団

プラハ国立歌劇場

プラハ国立歌劇場(チェコ語: Státní opera Praha)は、チェコ・プラハにある歌劇場である。
 

1883年、プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合(Deutsche Theaterverein)により、1888年、歴史主義建築様式の劇場、新ドイツ劇場(Neues Deutsches Theater)が創立された。

 

初めの芸術監督ノイマン(Angelo Neumann)の後任にツェムリンスキーが、1925年から1929年の間には、後のウィリアム・スタインバーグ、ハンス=ヴィルヘルム・シュタインベルクが、後任としてジョージ・セル(音楽監督も兼任)もこの職に就き、それぞれがこの劇場で活躍した。歴代の楽長及び音楽監督には、グスタフ・マーラー、カール・ムック、レオ・ブレッヒ、オットー・クレンペラー、ジョージ・セルなど錚々たる顔ぶれが並ぶ。なお、建物としてではなく、当時の関係者の所属先として劇場を指す場合は、新が取れてドイツ劇場、プラハ・ドイツ劇場、または歌劇場と表記されるのが一般的である。

 

1938年9月25日、組合が撤退、この建物はチェコスロバキア国の所有となる。しかし1939年3月15日のドイツ軍のチェコスロバキアの占領、翌16日のヒトラーの布告によりプラハは保護領(ベーメン・メーレン保護領)となった。ドイツ・オペラハウス(Deutsches Opernhaus)と名付けられ、ナチ党の催しや国(ライヒ)の団体が客演した。

 

プラハ蜂起を記念した催しで演劇団体が上演-1945年5月5日『5月5日の劇場』。1947年から48年には劇場にオペラが戻る。1948年、『5月5日の大歌劇場』と名付けられ、この劇場は国民劇場の傘下となる。1949年に『スメタナ劇場』と改名し、1992年に現在の『プラハ国立歌劇場』となった。

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