トスカ

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トスカ Tosca


作曲:ジャコモ・プッチーニ

初演:1900年 ローマ、コスタンツィ劇場

台本:ルイージ・イッリカ、ジュゼッペ・ジャコーザ(イタリア語)

 

あらすじ

 

第1幕

ローマの聖アンドレア・デラ・ヴァッレ教会。政治犯のアンジェロッティが、慌しく駆け込んで来る。彼は妹に牢番を買収させ、脱獄したのである。そして妹が隠して置いた、礼拝堂の鍵を探し出すと、その中に逃げ込む。すると画家のカヴァラドッシがあらわれ、カンバスの覆いをとって、マグダラのマリアの像を描き始める。モデルは、アンジェロッティの妹である。モデルの美女と彼の恋人、歌姫のトスカを比較してうたう、アリア「妙なる調和」。すると礼拝堂から、隠れていたアンジェロッティが姿をみせ、旧友のカヴァラドッシと顔を合わせる。そして友達の脱獄を知ると、その彼を助けるべく、昼食に用意した食べ物とワインを与えて、自分の別荘に潜伏するように勧める。
そのとき外部からトスカの呼ぶ声がするので、再びアンジェロッティを礼拝堂に隠す。入って来たトスカは人のいた気配がするので、モデルの美女と逢引していたのではと、疑いをかけて嫉妬するが、カヴァラドッシは絵の中の美女よりも、君の方が何倍も美しいとなだめて,彼女を外に送り出す。間髪を入れずアンジェロッティを連れ出すと、隠れ家への道筋と、何かあれば古井戸に隠れるよう指示するが、そのとき政治犯の脱獄を知らせる大砲が鳴り響き、急いで2人は教会を後にする。そこへ堂守があらわれ、カヴァラドッシがいないのを不審がっているところへ、信者や聖職者がやって来て、ナポレオンが大敗したという話題で盛り上がる。
突然警視総監のスカルピアが、大勢の警官を従えてあらわれ、政治犯が脱獄してこの教会に逃げ込んだといって、特に入念にアッタヴァンティ家の礼拝堂を捜査するように命じる。部下のスポレッタは礼拝堂から、アッタヴァンティ家の紋章の入った扇と、昼食用のバスケットを見つけて来る。また画架の聖女の顔が、彼の妹とそっくりなのに気付いて、スカルピアは彼がここへ逃げ込んだと確信する。そこへ何も知らないトスカが戻って来て、今夜は祝賀会でうたうことになり、デートは中止だと告げに来たのに、カヴァラドッシがいないのでがっかりする。するとスカルピアはトスカに近付き、例の扇をみせつけて彼女の嫉妬心を煽り立てる。彼女は彼が例のモデルの美女と、別荘で逢引しているかも知れないと疑い、現場に直行しようという。スカルピアはすぐにスポレッタを呼び、トスカを尾行するように命じる。彼はにんまりとほくそ笑み、トスカよお前の心の中には、このスカルピアが住み着いたぞと独り言をいう。オルガンが鳴り響いて,枢機卿の行列が通り過ぎる。聖歌隊は「テ・デウム」をうたい、祝砲と鐘が響き渡る。そして枢機卿は人々に祝福を与え、大合唱が大きく盛り上がる。スカルピアはカヴァラドッシを逮捕し、トスカを我がものにしようと決心する。

 

第2幕

ファルネーゼ宮殿の一室。スカルピアが夕食をとっているところへ、カヴァラドッシが重要参考人として連行されて来る。窓の外からは戦勝祝賀会でうたう、トスカの歌声が聞こえている。警視総監は数々の証拠を挙げて、カヴァラドッシを攻め立てるが、彼は頑として口を割らない。心配して駆けつけて来たトスカがあらわれると、スカルピアはカヴァラドッシを拷問室に入れて、激しい拷問を加えて、逆にトスカをからめ手から責める。ついに彼女は愛する男の悲鳴を聞いて、「庭の井戸の中に」にと自白してしまう。それを知ったカヴァラドッシは、口惜しさの余り悶絶してしまう。
そこへ伝令の報告で、戦いに勝ったのはナポレオンの方だと分かり、カヴァラドッシは元気を取り戻し、スカルピアを罵倒するので、激怒した警視総監は彼を牢に収監するよう命令する。トスカとスカルピアの2人だけになると、彼女は恋人の命を助けるよう懇願するが、その代償としてスカルピアはトスカの体を要求する。絶望した彼女は有名なアリア、「歌に生き、愛に生き」をうたって自らの非運を嘆く。そしてトスカはスカルピアの要求に屈して、愛するカヴァラドッシのために、身を犠牲にしようと決心する。それを聞いたスカルピアは部下のスポレッタに、パルミエリ伯爵のときのように、ほんの形式のみの銃殺にするようにと命ずる。部下が下がるとスカルピアは、彼女に襲いかかろうとするが、彼女はカヴァラドッシが自分と、国外に脱出出来るよう許可証を書いてくれと要求する。仕方なしにスカルピアは、それを書くために机に向かう。そのとき彼女は食卓のナイフに気付き、素早くそれを後ろ手に隠す。スカルピアは約束どおり許可証を書き、さあこれでお前は俺のものだと、両手を広げて抱きつこうとした瞬間、トスカの手にしたナイフが、深々とスカルピアの胸に突き刺さる。「これがトスカの接吻よ」、スカルピアは助けを求めるが、その場に倒れ間もなく絶命する。トスカはスカルピアの手から、許可証を奪い十字架を死体の胸に置き、頭の両側に蜀台を置いて、そっと忍び足で部屋の外へ去って行く。

 

第3幕

夜明け前のサンタ・アンジェロ城の屋上。羊飼いの少年の歌が聞こえ、そこへ銃殺刑のため、カヴァラドッシが連行されて来る。彼は看守に指輪を与えて紙とペンを貰い、愛するトスカへの手紙を書こうとする。楽しかった思い出を回想しているうちに、ついに感極まって号泣する。全幕の中で最も有名なアリア、「星も光りぬ」がここでうたわれる。そこへトスカがやって来て、今までの経過の一部始終を報告して、出国許可証をみせながら、この手でスカルピアを殺したこと、銃殺は形式だけだと説明する。兵士たちがあらわれ、処刑の準備が完了する。4時の鐘が鳴って所定の位置に兵士たちがつき、轟然と銃が一斉に火を吹き、目隠しされたカヴァラドッシが倒れる。兵士たちは検視を終え、死体にマントをかぶせて整然と行進しながら去る。じっと見守っていたトスカは、遠くからまだ動いては駄目よと声をかけ、さあマリオ早く逃げましょうと、彼の体を揺さぶる。だが彼の体は、石のように動かない。慌ててマントを剥ぎ取ると、カヴァラドッシの胸は朱に染まっている。銃殺刑は、形式だけだったのではなかった。彼女は絶叫して、その場で死体に取りすがる。すると大勢の兵士たちが、城壁の階段をかけ昇ってくる。彼らはスカルピアが殺された、殺したのはトスカだ、捕まえろと口々に叫んでいる。彼女は追い詰められ、スポレッタに捕まりそうになるが、一瞬彼を突き離して城壁にかけ登り、おおスカルピアよあの世でと叫んで、空中に身を躍らせる。兵士たちは驚いて、城壁から下を見下ろすところで幕になる。

プログラムとキャスト

指揮: オンドレイ・オロス イジー・シュトゥルンク

フロリア・トスカ:ギウルナラ・ライレヌ。 ペトラ・アルバレス・シムコバ

マリオ・カヴァラドッシ:マッテオ・リッピ。 ルチアーノ・ガンチ。 ミハイロ・マラフィー; アタラ・アヤン

スカルピア男爵:クシシュトフ・ズマンスキー。 ダニエル・チャプコビッチ。 クラウディオ・スグラ

チェーザレ・アンジェロッティ:パーヴェル・シュヴィンガー。 フランチシェク・ザフラドニーチェク

サグレスターノ:イヴォ・フラホヴェツ。 オレグ・コロトコフ

スポレッタ:ヴァーツラフ・シベラ。 ズデニエク・ハース

シャローネ: Oldřich Kříž; ヤロスラフ・パトーチカ

羊飼い:ガブリエラ・ペシノヴァ。 ソシャ・コツィアノバ; ペトラ・ブジチャチョバ

看守: アレクサンダー・ラプチェフ。 アンドレイ・スチルクル

 

クリエイティブチーム

台本 - ジュゼッペ・ジャコーザルイージ・イッリカ

舞台監督 - マーティン・オタヴァ

セット - ジョセフ・スヴォボダ

セット (1999 年復元) - ダニエル・ドヴォルザーク

コスチューム - ヨーゼフ・イェリネク

照明デザイン - パベル・ダウトフスキー

合唱指揮者 - アドルフ・メリチャール

キューン児童合唱団の合唱指揮者 - Jiří Chvála

ドラマツルギー - ジトカ・スラヴィコヴァ

 

おおよその上演時間: 3 時間、休憩 2 回 (20 分)

言語: イタリア語、字幕チェコ語、英語

プラハ国立歌劇場

プラハ国立歌劇場(チェコ語: Státní opera Praha)は、チェコ・プラハにある歌劇場である。
 

1883年、プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合(Deutsche Theaterverein)により、1888年、歴史主義建築様式の劇場、新ドイツ劇場(Neues Deutsches Theater)が創立された。

 

初めの芸術監督ノイマン(Angelo Neumann)の後任にツェムリンスキーが、1925年から1929年の間には、後のウィリアム・スタインバーグ、ハンス=ヴィルヘルム・シュタインベルクが、後任としてジョージ・セル(音楽監督も兼任)もこの職に就き、それぞれがこの劇場で活躍した。歴代の楽長及び音楽監督には、グスタフ・マーラー、カール・ムック、レオ・ブレッヒ、オットー・クレンペラー、ジョージ・セルなど錚々たる顔ぶれが並ぶ。なお、建物としてではなく、当時の関係者の所属先として劇場を指す場合は、新が取れてドイツ劇場、プラハ・ドイツ劇場、または歌劇場と表記されるのが一般的である。

 

1938年9月25日、組合が撤退、この建物はチェコスロバキア国の所有となる。しかし1939年3月15日のドイツ軍のチェコスロバキアの占領、翌16日のヒトラーの布告によりプラハは保護領(ベーメン・メーレン保護領)となった。ドイツ・オペラハウス(Deutsches Opernhaus)と名付けられ、ナチ党の催しや国(ライヒ)の団体が客演した。

 

プラハ蜂起を記念した催しで演劇団体が上演-1945年5月5日『5月5日の劇場』。1947年から48年には劇場にオペラが戻る。1948年、『5月5日の大歌劇場』と名付けられ、この劇場は国民劇場の傘下となる。1949年に『スメタナ劇場』と改名し、1992年に現在の『プラハ国立歌劇場』となった。

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