イドメネオ

チケットを購入する
PreviousSEP 2026

 

イドメネオ – ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト | オペラ
言語:イタリア語上演、チェコ語・英語字幕付き
初演:2025年9月25日

 

W・A・モーツァルトがこのオペラ《イドメネオ》を作曲したのは、芸術を熱心に支援していたバイエルン選帝侯カール・テオドールの依頼によるもので、彼自身が題材を選びました。しかし、この作品はおそらくモーツァルトにとって最も個人的な作品と考えられています。盲目的な服従を求める父権的体制と若者の反抗という構図は、作曲家とその父レオポルトとの緊張した関係を想起させます。登場人物たちは皆、自らの弱さや運命に抗えない苦悩に直面します。トロイ戦争の後、クレタ王イドメネオは、無事に帰還できたなら最初に出会った者を海の神ネプトゥヌスに捧げるという運命的な誓いを立てます。旧約聖書のイェフタやアブラハムのように、彼もまた神に従うか、愛する我が子を犠牲にするかというジレンマに直面します。やがてイドメネオは屈し、息子イダマンテを殺す覚悟を決めます。王子イダマンテは、戦争で家族と故郷を失ったトロイの敗れた王プリアモスの娘イリアに恋をしています。イリアもイダマンテに好意を抱いていますが、父イドメネオがアキレウスやオデュッセウスのトロイ攻略を助けたことを思い、敵への愛を認めることをためらいます。ミケーネ王アガメムノンの娘エレットラはイリアに激しい嫉妬を抱き、イダマンテを何としてでも自分のものにしようとします。モーツァルトは、登場人物たちの極限の感情を、圧倒的な音楽の力で表現しました。台本作家ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴァレスコとともに、モーツァルトはこのギリシャ悲劇に幸福な結末を与えます。イドメネオによる旧体制は、愛と理性の支配へと道を譲り、イダマンテとイリアが王位に就くのです。

 

《イドメネオ》は1781年1月29日、ミュンヘンで初演され、モーツァルト最初の本格的なオペラの傑作と見なされています。プラハでは1887年10月に、ソボトニー劇場で初めて上演されました。今回の新制作は、ドイツの指揮者コンラート・ユンゲーネルが手がけ、彼にとってナショナル・シアター・オペラとの初の共同作業となります。演出は、これまでにもプラハで何度か手がけているスペインの演出家カリクスト・ビエイト(《炎》《カーチャ・カバノヴァ》《イェヌーファ》)です。

 

 

あらすじ

 

第1幕

舞台はクレタ島。トロイアの王女イリアはクレタに囚われていたが、イドメネオの息子イダマンテを愛していた。しかし、彼女はイダマンテに愛を告げるのをためらう。イダマンテはトロイアの捕虜を解放し、愛を拒絶したイリアに、父親同士が敵なのは自分のせいではないと語る。トロイア人とクレタ人はともに平和が訪れたことを喜ぶが、エレットラはイリアに嫉妬し、捕虜への慈悲を非難する。そこに、王の腹心アルバーチェが、王が帰還中に嵐に会って行方不明になったと伝える。エレットラは、トロイア人のイリアがクレタの女王になるのではないかと恐れ、怒り狂う。

 

船が難破したあと、海岸でイドメネオは海神ネプチューンへの誓いを思い出す。生き残ることができたら、海岸で最初に会った者を生け贄に捧げると。イダマンテが近づくが、遠くからだったのでイドメネオは誰だか分からなかった。若者が自分の息子だと気付くと、イドメネオはイダマンテに二度と自分に近づくなと命じる。父親から拒絶されて悲嘆にくれたイダマンテは走り去る。船から降りたクレタ人の部下たちは、妻と再会し、ネプチューンに感謝する。

 

第2幕

王宮でイドメネオから相談を受けたアルバーチェは、イダマンテを追放すれば別の生け贄を供することができるだろうと提案する。イドメネオは、エレットラを伴ってアルゴスに行くようイダマンテに命じる。イリアはイドメネオの優しい言葉に感動し、自分はすべてを失ったのだから、イドメネオを父としクレタを自分の国とすると述べる。イドメネオはイダマンテの追放が自分だけでなくイリアの幸せも失わせると気付く。エレットラはイダマンテとアルゴスに行くことを喜ぶ。

 

イドメネオはシドンの港でイダマンテに別れを告げ、アルゴスで統治の術を学ぶよう促す。しかし、船が出港する前に突然嵐が発生し、怪物が出現する。怪物がネプチューンの使者だと気付いたイドメネオは、神への誓いを破った償いとして、自分自身を捧げると述べる。

 

第3幕

王宮の庭で、イリアはそよ風が愛をイダマンテに届けるように願う。イダマンテが現れ、あの怪物と戦いに行かねばならぬと伝える。愛を拒絶される苦しみは死ぬほど辛いと言われ、イリアはついに愛を告白する。イダマンテがイドメネオになぜ自分を遠ざけるのかと尋ねると、イドメネオは立ち去れと答えるのみであった。イリアはエレットラに慰めを求めるが、エレットラは復讐心をつのらせる。アルバーチェが現れ、海神を祭る大司祭に率いられて民衆がイドメネオを求めて騒いでいると伝える。大司祭はネプチューンが送った怪物が破壊を起こしていると伝え、神が求めている生け贄は誰なのかを明かすよう促す。イドメネオは自分の息子が生け贄であると告白し、民衆は恐怖に震える。

 

寺院の外でイドメネオと大司祭は、神が鎮まるように司祭たちと祈る。そこにアルバーチェがイダマンテが怪物を倒したと伝える。イドメネオがネプチューンのさらなる復讐を恐れると、イダマンテが生け贄の服をまとって現れ、父の苦しみを理解し死ぬ覚悟ができていると語る。苦しみに満ちた惜別のあと、イドメネオは息子を殺そうとする。そこにイリアが乱入し、自分の命を代わりに捧げてくれと頼む。神の声が響き渡る。「愛の神が勝った。イドメネオは退位し、イダマンテが王となりイリアをめとれ」と。全員が安堵するが、エレットラは怒り自分の死を願う。イドメネオはイダマンテとイリアを新しい王とする。民衆は愛と結婚の神をたたえ、二人を祝福し平和を喜ぶ。

プログラムとキャスト

指揮:コンラート・ユンゲネル、リヒャルト・ハイン
イドメネオ – エヴァン・ルロイ・ジョンソン
イダマンテ – アルネイザル・エイリクスドッティル
イリア – エカテリーナ・クロヴァテヴァ
エレットラ – ペトラ・アルバレス・シムコヴァー
ネプチューンの大神官 – ペトル・ネコラネツ、エドゥアルド・カーツァル
神託の声 – ズデニェク・プレフ
第一のトロイ人 – ベニャミン・ハーイェク、ミハエル・スカリツキー
第二のトロイ人 – マルティン・クロイツ、ダリボル・パヴェルカ
第一のクレタ女性 – ルチア・ビルドヴァー、マルケータ・フリードヴァー
第二のクレタ女性 – エリシュカ・ロコシュ・モウレチコヴァー、クリスティナ・ベイハン

 

国立歌劇場合唱団
国立歌劇場管弦楽団
国立劇場オペラ・バレエ団
La Monnaie / De Muntとの共同制作

 

演出:カリクスト・ビエイト
美術:アンナ=ソフィア・キルシュ
衣装デザイン:パウラ・クライン
照明デザイン:ラインハルト・トラウブ
映像デザイン:アドリア・レイシャック、ルカーシュ・パノフ
合唱指導:ズザナ・カドルチーコヴァー
ドラマトゥルギー:イトカ・スラヴィーコヴァー

プラハ国立歌劇場

プラハ国立歌劇場(チェコ語: Státní opera Praha)は、チェコ・プラハにある歌劇場である。
 

1883年、プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合(Deutsche Theaterverein)により、1888年、歴史主義建築様式の劇場、新ドイツ劇場(Neues Deutsches Theater)が創立された。

 

初めの芸術監督ノイマン(Angelo Neumann)の後任にツェムリンスキーが、1925年から1929年の間には、後のウィリアム・スタインバーグ、ハンス=ヴィルヘルム・シュタインベルクが、後任としてジョージ・セル(音楽監督も兼任)もこの職に就き、それぞれがこの劇場で活躍した。歴代の楽長及び音楽監督には、グスタフ・マーラー、カール・ムック、レオ・ブレッヒ、オットー・クレンペラー、ジョージ・セルなど錚々たる顔ぶれが並ぶ。なお、建物としてではなく、当時の関係者の所属先として劇場を指す場合は、新が取れてドイツ劇場、プラハ・ドイツ劇場、または歌劇場と表記されるのが一般的である。

 

1938年9月25日、組合が撤退、この建物はチェコスロバキア国の所有となる。しかし1939年3月15日のドイツ軍のチェコスロバキアの占領、翌16日のヒトラーの布告によりプラハは保護領(ベーメン・メーレン保護領)となった。ドイツ・オペラハウス(Deutsches Opernhaus)と名付けられ、ナチ党の催しや国(ライヒ)の団体が客演した。

 

プラハ蜂起を記念した催しで演劇団体が上演-1945年5月5日『5月5日の劇場』。1947年から48年には劇場にオペラが戻る。1948年、『5月5日の大歌劇場』と名付けられ、この劇場は国民劇場の傘下となる。1949年に『スメタナ劇場』と改名し、1992年に現在の『プラハ国立歌劇場』となった。

類似したイベント